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名前 りりこ (山口知恵子)りりさん りりちゃん、りりーと呼ばれます
誕生日 1976年4月13日
出身地 海老名市
血液型 O型
特技 深い慈愛と繋がる事
趣味 家族とキャンプやBBQをすること、毎年夏には沖縄旅行に行っています。毎年ヴァイアナの授業を受けたり、またはヴァイアナのアシストタントとして、アメリカまたは世界各国に行きます。


2018年日本で開催シータ・ヒーリング インストラクターのセミナーもアシスタントとして参加します

 

 

 

 

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資格
シータ・ヒーリング認定サイエンス
サイエンスの資格とは、シータヒーリングの全てのセミナーのインストラクターの資格を持つ人に与えられる
最高位の権利です。


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シータヒーリングサロン リリィ・イン・ブルームの思い

講師のりりこをはじめ、アシスタントもみな、受講生さんが深く愛されて人生を目覚められる様な場所作りをしています。
その結果、インストラクターにまで成長する受講生さんは日本でも圧倒的に多く、講師でなくてヒーリングを通じて人生を変えられた方ばかりです。
ヒーリングをしても、自分自身を変化させられなかった方がいるなら、それは「やり方」ばかりを教わり、いけない所を指摘され、自分自身が「このままで良くて、愛されている」という事に気がつけなかったのだと思います。
受講生さん
、そのものが愛です。これに気がつくことが一番大事な事です。
当サロンは、講師もアシスタントも受講生さんに愛を持って接し、決して押し付ける事なく、指摘もなく、この場所は受け入れられてると深い愛を感じて頂けると思います。
この深い愛は、ヒーリングで人生を目覚めさせる為の「祈り」の様なもので、これを無くして目覚めるのは難しいでしょう。
シータヒーリングで成功できたのは、講師から深く愛され、仲間に愛され、一緒に育むんで、良いところを観あえるメンバーに出会えたからだと思います。成功とは一人でするものではありませんでした。

自分の人生に困難を引き起こさない為に、この大事なスタートの時に、当サロンにお越し頂けたら、
とても、とても嬉しく思います。

 

 

 

りりこの シータ・歴

201112月 基礎DNAプラクテショナー プラティクショナー
2012
1月 応用DNAプラクテショナー プラティクショナー
2012
2月 アナトミー(人間解剖学) プラティクショナー
2012
2月 リズム プラティクショナー
2012
3月 ソウルメイトセミナー プラティクショナー
2012
5月 豊かさと願いの実現 プラティクショナー
2012
5月 ゲームオブライフ プラティクショナー
2012
7月 ワールドリレーションズ プラティクショナー
2012
8月 病気と障害 プラティクショナー
2012
9 DNA3 プラティクショナー
2012
12月 ファミリータイズ プラティクショナー
2012
12月 プロコーチング プラティクショナー
2012
12月プロコーチ 講師力UPセミナー プラティクショナー
2012
12月 プロコーチ開業セミナー プラティクショナー
2013
3月 ハッピーライフ プラティクショナー

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20124月 基礎DNA インストラクター
2012
4月 応用DNA インストラクター
2012
4月 豊かさと願いの実現インストラクター
2013
4月 ゲームオブライフインストラクター
2013
4月 アナトミーインストラクター
2013
4月 ライトボディ アクティベーションプラティクショナー
2013
4月 ライトボディアクティベーションインストラクター
2013
6月 シータヒーリング マスター認定

IMG_0193・ハートソングのデモセッション

20136月 レインボーチルドレン インストラクター
2013
7月 クリスタルレイアウト プラクティショナー
2013
8月 クリスタルレイアウトインストラクター
2013
8月 クリスタルリモートビューイング プラティクショナー
2013
8月 クリスタルリモートビューイングインストラクター
2013
8月 病気と障害 インストラクター
2013
8月 ワールドリレーションズ インストラクター
2013
8 DNA3 インストラクター

20138月 シータ・ヒーリング サイエンス認定

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201311月 アニマル&プラントプラティクショナー
2014
4月 存在の層 プラクティショナー
2014
4月 アニマル インストラクター
2014
4月 プラント インストラクター
2014
8月 存在の層 インストラクター
2014
8月 ディグディッパーインストラクター(掘り下げ)
2014
8月 ファミリータイズインストラクター

2016年10月 ヴァイアナのアシスタント inアテネ

 2016年6月豊かさと願いの実現イントラ再受講

2018年2月パートナーシップ1,2インストラクター取得
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2018年 春 東京にてシータ・ヒーリング インストラクター 講師ジョシュのアシスタント

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シータヒーリングの認定サイエンスになり6年目。更新しました。

 

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りりこが、

小さい頃から「深い慈愛」と繋がっていた時の話

 

私は、小学校2年の時から「深い慈愛」と繋がっていました。

 

眠っていると、深いピンク色のエネルギーが私のハートにやってきて、脳に感じて、またとハートに繋がっていくのです。

「慈愛」とは、他人をまるで我が子のように愛する無償の愛。

 

マリア様や、マザーテレスなどが持つ、とても高い振動数です。

 

この深いピンクの慈愛は、私にやってくると

まるで天国の中に入ったかのように、人を愛してしまい、どんな姿の男性も女性も無条件に愛してしまい、

至福そのものの中で一夜過ごしたりしていました。

 

幼い子供の私は、これが初恋の様なものでした。

 

あまりにも幸せな振動数なので、このエネルギーを保ちたいのですが、

現実の学校生活や世間の厳しいルールから、

次第に、私の振動数は下がり、

信じているのは「将来の恐れ」ばかりになってしまいました。

 

現実はもっと厳しいという、極端な自分を制限する思考パターンを持ち始めた時から 

「未来は恐れ」ばかり考えていたものです。

 

それでも、夜中に「深い慈愛」は、時々私を訪れてくれて

その至福の振動数に癒されていました。

 

「深い慈愛」は、決まって眠っている時にやって来て、

その時だけは、完全に現実世界から離れる事ができました。

 

誰かを「深く愛している」と言うのは、この時に学び

今もずっと覚えているのです。

本当に幸せで、ピンク色のエネルギーです。

 

でも、この振動数は高すぎるので、決まって副作用がありました。

朝には起きてこれなくなります

 

1か月間くらいは、その振動数に完全に味わう事ができ、

そのうちに、大きくなるたびに、二週間・・・一週間・・・と・・・幸せを味わえる時間が減ってい来ます。

 

「もっと現実的にならなければならない」と思い始め

「未来の恐れ」を持った方がいいと、信じ始めてしまいます。

 

現実を生き抜くためには、もっと自分を厳しくする思考が必要でした。

この自分を厳しく制限する思考で、

私を、世間知らずではない、常識のある人にしてくれたのだと思います。

でも、夢もロマンスも消えて行きました。

 

シータヒーリングを初めて、

人を愛する「深い慈愛」が、いつも私にいてくれる様になりました。

 

幼い頃に、時々来てくれた深い慈愛は

シータヒーリングを始めて、自分を制限する思考パータンの解放をしたら、

子供の頃に感じていた、あの「深い慈愛」と、副作用なく一緒に生きれる様になりました。

この高い振動数は、私をいつも創造主と繋げてくれています。

 

私が サロンに来る受講生さんを深く愛しているのは そのためです。

 

シータヒーリングを始めた時は、まだ、自分に厳しさを持っていたと思います。

それでも、ずっと 至福の深い慈愛を知っていたので、ハートはドキドキし、厳しい制限をもつ自分から変化する怖さと、

幸せな自由な自分と迷いも持っていたと思います。でも 私は、シータヒーリングの目覚めに魅了されていきました。

シータヒーリングで 私が伝えているのは

 

スピリチュアルであり 愛情深くあり それでいて 人間らしくあるという事です。

だから 私は、よく遊びますし、恋もしますし、ご飯も食べるのが好きです。

 

 

ずっと幸せではなかったです。人生は過酷でした。

生徒さんやお友達から、ずっと始めから幸せだったのでしょ?と聞かれる事がありますが

わたしは、決して簡単な人生ではありませんでした。

 

母はずっと乳がんで闘病中でしたし、父はアルコール中毒でした。

それに 貧乏な生活を強いられていました。

 

私の心の中は、慈愛を維持できない 辛い環境でした。

 

ですが、その辛い環境が、私に「優しさ」と「慈愛」「思いやり」を教えてくれました。

今、思えば、人一倍 私は、優しい人でしたし、誰も見捨てない程、思いやりを持っていました。

 

 

 

 

人は、思い通りの人生の創り方を教えてあげれば、幸せな未来を生きれる様になります。

自己流で、自己啓発や引き寄せの法則を学ばれても思い通りの人生を創れるかもしれませんが

とても時間がかかり 幸せを体験するまでに途方に暮れてしまうかもしれません。

シータヒーリングでは、即座に変化する方法を学びます

幸せな人生の創り方を、学ベば、今の苦労をそのまま耐える事なく生きれる様になります

親から子供へ 生きていく上で大事な事として、

先祖代々教え引き継ぎたい学びは シータヒーリングだと思っています。

子供たちに苦労で耐える人生より、幸せな人生を生きて欲しいから。

 

 

この仕事を、私が飽きずに

ずっとセミナーを開催しているのは

「人を幸せにしたい」という 心からの願いが、私にはあるからです。

 

 

 

 

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まだ人生に迷いがある方へアドバイス。

 

私が不運で生きていた原因は、

 

過去において、様々な出来事による苦しみや、耐えきれない程の深い悲しみ、

自己否定した暗闇の被害者意識、

まだ それが起きるのはないかという恐れからでした。

 

 

 

シータヒーリングはとても簡単なもの。

上昇して、シータ波動になり創造主に変えるといえば誰でも簡単に変える事ができます。

 

あなたが一番純粋な状態に保つ事ができれば 深い振動数の愛に繋がります。

 

年齢問わず、男女問わず、宗教とはず、誰でも実践できます。

 

シータヒーリングを活用して、

毎日毎日が解決と喜びの連続になる事が身につくでしょう。

 

 

シータヒーリングをスタートする「基礎セミナー」は、こちら

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0円から始めたシータヒーリング。人生を変えた成功までの道のり1年目。

りりこの人気ブログです シータヒーリングでどのように変化していったかをブログで書いています。

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第2話 裏切らなかった結果編
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第3話 無条件の愛・編

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17年間に及ぶ、乳がんの母の闘病生活

不幸であった時の話。私はずっと最悪な人生でした。

高校2年の時に、我が家に転機がおきました。
母が乳がんになったのです。

見つかった当初は小さい乳がんであり、転移の心配はないとされていましたが
それは、17年かけてゆっくりと骨や他の臓器に転移していきました。

わたしの使命はこのときから始まったのです。

最後の5年は本当に過酷なものでした。

17年かけて、保険適応の抗がん剤や放射線の治療はすべてやり尽くし、どれも効果はなく、
大好きな母が日に日に悲しみにくれ 弱っていくのは、本当に辛い日々でした。

母は、大事にしている宗教があり、
そのボランティア活動として同じ病気で苦しむ人に愛を与えながら励ますという活動をしていました。
人に親切にしている方が、元気でいられると言っていたのを覚えています。
それでいて、いつも、笑っている人でしたから

母は神を信じて行動していましたが

どんなに、いい行動をして自分をごまかしても、癌は進行して、
体はガリガリで体重は30キロぐらいしかありませんでした。

抗がん剤の影響で髪の毛もなくなり、女性の美しさは捨てたようなものです。
5度の手術をして、両方の胸は摘出しています。

「そんな母を救えるのは、私だけだ」という気持ちは、強く、わたしも人生を捨てた気持ちで
17年取り組みました。

私に、青春時代なんてありませんでした。
母を支えている、わたしこそが、本当にぼろぼろで大好きな母が希望をなくすのは見ていられませんでした。

ずっと希望をもち、あらゆる治療をしたのですが それはどれも、よい効果は発揮してくれず。
母は、保険で適応する治療はすべてしていました
医者はみんな揃って、生きるのは無理だと言い、心が傷つきました。

医者の言葉を信じる訳にはいきませんでした、信じてしまったら母が死んでしまうからです。

出来る事は何でもしました。
海外から無認可の抗がん剤を取り寄せ、一回に60万円を週に2回行う注射や
手の波動によりエネルギーを出して癌を攻撃する仙人に会いにいく治療 それも一回5万円を計30回
サプリメントを大量に飲む高額な治療 ひと月10万円など
家族は悲しみのあまり、正しい判断など出来ずに、出来る治療はすべて行い その治療費は何千万を超えています。

今思えば あの時、「純粋な愛」に繋がるという意識がわたしにあったら、母は助かったかもしれせん。
でもあの時は、シータヒーリングに出会ってなく、ネガティブな思考に合わせた行動をしてしまいました。

恐れからの行動は、奇跡を起すのを難しくしてしまいました。

母の癌は、骨、肺、そして皮膚に転移していました。
皮膚を見て毎日、癌の大きさが把握できるので、それはもっと母を苦しめました。

皮膚に癌が広がると体が硬直して、痛くて眠れない日々です、それに悪臭もすごい。
毎日、携帯で、痛いよって呼び出されたのを覚えています。

そんな、わたしは何も出来なくて、「大丈夫、大丈夫」って声をかけるだけしたが
この段階でも、まだ、神が助けてくれる、奇跡が起きるって信じていました。

癌は脳には転移していないので、わたしの事を、覚えてくれていたのは、本当に嬉しかったです。

このような、病気による闘病生活は、人間にとって本当に過酷で、耐えられるような、悲しみでは
ありません。できれば、目をそらして生きることも選択できましたが
母を見捨てるなんて出来ませんでした。

私も、癌になったような気持ちで一緒に過ごしました。

私の方が誰かに助けてもらいたい・・・本当はそう思っていました。

わたしは、神に祈る時間が長くなりました。奇跡よ・・・奇跡よ・・・

誰かに相談するのは、嫌いでした。

なぜなら・・・誰もこの気持ちはわかってくれないって思っていたのです。

私は、たくさんの限界に立ち向かう思考を持っていました。

それは、現実化してしまいました。
本当は、「癌が消える、奇跡が起きる」なんて思考は持っていなかったのです。

思い込み通り癌は癒えませんでした。

母は、肺に水がたまってしまうので、毎日溺れる恐怖と戦っていました。

最後に母は、水に溺れる苦しみを耐えられずに、わたしに「モルフィネで死なせてくれないか?」って聞かれました。

そんな事 母に言われて、私は悲しくて悲しくて、最後のわがままを言っていいなら

「植物人間でもいいから生きてほしい」っていいたかったけど。言えませんでした。

母の苦しみは痛いほど わかるし、見ているのも限界でした。

モルフィネを、肌に張ると、「もう意識がもうろうとして記憶がなくなるかも」と医者に言われ
もう私の事は、わからなくなっちゃうかなって思い、怖かったけど
覚悟して、わたしがモルフィネを張りました。

そんなの 愛している人にモルフィネを張るのは悲しすぎました

それから母は、1日で話が出来なくなりました。うつろ・・・うつろ・・・
今、思えば、魂がさまよっていたのでしょう。

2日目にまた モルフィネを張るときは、これを張れば、死んでしまうっていうのはわかっていたので、手が震えました

もう・・・お母さんの声が聞けなくなる。

やっぱり、お母さん・・・って声をかけても返事がなくて。
その晩も 意識がないけど、かすかに息をしている母の隣で一緒に寝ました。

最後の時間は、なぜか、不安が消えて、愛されてる包括された愛の気持ち。

最後に母とわたしの魂は抱き合っていたのだと思います

母の顔を覗き込んだ 2秒・・・
母は、スーーーっと、最後のひと息をしなくなる瞬間を見ました。

お母さん・・・
「もういいよ」
心臓が止まり、腕の脈が止まり、血の気が引いていき、なぜか口角が上がり、笑ったような顔で死んでいきました。

お母さんの、亡くなる愛になる瞬間に出会えました。

私が顔を覗き込んで、安心して次の旅に出たようです。

わたしは、スピリチュアルな方ではありませんでしたが
母の声で「バンザーイ、バンザーイ、やりきったぞぉ~」って聞こえてきました。

本当に 病気は戦いでした。

私たちは、抵抗して頑張り過ぎてしまった。

本当は、病気を愛すればよかったんです。

でも、そのように思えなかったのが 人間の思考であり ガチガチの脳なんです。

お母さんは、わたしがヒーラーとして成長するために 本当にいい経験をさせてくれた
この経験は 母から子へ、最後の子育てだったのだと思います。

わたしは、この経験で、人一倍、思いやりを持ちましたが
残っている仕事は、潜在意識の思い込みの片付けることです。

ネガティブな思い込みがたくさんあったので、わたしは、このように、より面白いドラマを創ってしまいました。

経験して終わりではない、潜在意識は放っておけばまた違う型で、芽を出し始めます。


だって自分が信じていることだから。

神は外にはいませんでした。神は私の中に存在するのものです。

シータヒーリングに出会った、あとは、自分を許してあげることを実践しています。

決してがんばりすぎることなく。

母が言っていた

しっかりした人になりなさい・・・

生まれ変わった私は、しっかりと土台のある人になりました。

今の姿を きっと母は褒めてくれるんじゃないかなと思っています。



 

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