
名前 山口りりこりりさん りりちゃん、りーさんと呼ばれます
(本名 山口知恵子)
誕生日 1976年4月13日 45歳
毎年アメリカのモンタナ州へいきヒーリングの技術を学びます
シータヒーリング 最高峰の資格サイエンスを取得し、20個のセミナーを開催しています。
これほどのセミナー開催をしているシータヒーラーは日本でも少なく、シータヒーリング インストラクターとして生徒さんが成長する「目覚める」のは当サロンが日本一ほどです。
セッション歴1万人。
セミナー開催歴は500回以上〜

所持してる資格
シータ・ヒーリング認定サイエンス(最高峰の権威のものに与えられる盾)
サイエンスの資格とは、シータヒーリングの全てのセミナーのインストラクターの資格を持つ人に与えられる
最高位の権利です。

メディア!


雑誌に紹介されることは多数です。
こちらは、HERS3月号です。
りりこの思い
今まで、望みを最高のかたちで叶えてこれなかった世代へ向けての学校をつくりました
頑張ることに疲れた方に
本当の自分の動機に気がついて、楽しみながら望みを叶え、自由自在の人生になって欲しい
この人生で「叶えられなかった」がないように。
人生の真ん中地点で、このサロンで習ったことを
子どもにまで伝えていって欲しい内容となっています。
りりこの シータ・歴
2011年12月 基礎DNAプラクテショナー プラティクショナー
2012年1月 応用DNAプラクテショナー プラティクショナー
2012年2月 アナトミー(人間解剖学) プラティクショナ
2012年2月 リズム プラティクショナー
2012年3月 ソウルメイトセミナー プラティクショナー
2012年5月 豊かさと願いの実現 プラティクショナー
2012年5月 ゲームオブライフ プラティクショナー
2012年7月 ワールドリレーションズ プラティクショナー
2012年8月 病気と障害 プラティクショナー
2012年9月 DNA3 プラティクショナー
2012年12月 ファミリータイズ プラティクショナー
2012年12月 プロコーチング プラティクショナー
2012年12月プロコーチ 講師力UPセミナー プラティクショナー
2012年12月 プロコーチ開業セミナー プラティクショナー
2013年3月 ハッピーライフ プラティクショナー
2012年4月 基礎DNA インストラクター
2012年4月 応用DNA インストラクター
2012年4月 豊かさと願いの実現インストラクター
2013年4月 ゲームオブライフインストラクター
2013年4月 アナトミーインストラクター
2013年4月 ライトボディ アクティベーションプラティクショナー
2013年4月 ライトボディアクティベーションインストラクター
2013年6月 シータヒーリング マスター認定
2013年6月 レインボーチルドレン インストラクター
2013年7月 クリスタルレイアウト プラクティショナー
2013年8月 クリスタルレイアウトインストラクター
2013年8月 クリスタルリモートビューイング プラティクショナー
2013年8月 クリスタルリモートビューイングインストラクター
2013年8月 病気と障害 インストラクター
2013年8月 ワールドリレーションズ インストラクター
2013年8月 DNA3 インストラクター
2013年8月 シータ・ヒーリング サイエンス認定
2013年11月 アニマル&プラントプラティクショナー
2014年4月 存在の層 プラクティショナー
2014年4月 アニマル インストラクター
2014年4月 プラント インストラクター
2014年8月 存在の層 インストラクター
2014年8月 ディグディッパーインストラクター(掘り下げ)
2014年8月 ファミリータイズインストラクター
2016年10月 ヴァイアナのアシスタント inアテネ
2016年6月豊かさと願いの実現イントラ再受講
2018年2月パートナーシップ1,2 3 4インストラクター取得
2018年 春 東京にてシータ・ヒーリング インストラクター 講師ジョシュのアシスタント
2019年 存在の層2 プラックティショナー 取得 モンタナへ
シータヒーリングの認定サイエンスになり10年目。


人生の初め35歳までは本当に辛いものでした。
10年前の私の人生は終わりかけていてバラバラでした。その時にシータヒーリングを藁にもすがる思いで初めました。
私が知らないうちに身についていたネガティブな考えが、現実になってしまっていたと知ったのです。
ネガティブな思考をポジティブな考えへと受け入れてから
自分の経験するものは、私で決める。
このやり方を思い出して、
目が覚めました。
意識が拡大して「自分が誰なのか?」思い出していけたのです。
過去生では何だったのか?
何しにここに来たのか?
誰と愛し合うためなのか?
人生って先がわからないから学べて面白いって思っていたけど
先がわかっていたらもっと面白いし、もっと良い経験に変える事ができました。
私が知った唯一自分にすべき事は
「自分を知って、あらゆる側面の幸せを経験すること」です。
自分が誰なのか知ったら、
ちゃんと幸せを責任持って経験しよう!と思えるようになりました。
今まではずっと 縮くまって、人生から隠れていたから
今では、私から人生を生きています。
本当の私は
ユーモアですし、案外と女の子です。強い面もありますがそこも私のお気に入りなんです。
永遠の幸せとは
自分を知って、全ての側面の私を愛する事だと思っています。
なぜ?ヒーラーという仕事をしているのか
りりこが、小さい頃から「創造主」と繋がっていた時の話
私は、覚えている限りだと、小学校2年の時から「深い愛の感覚」と繋がっていると知っていました
眠っていると、深いピンク色のエネルギーが私のハートにやってきて、脳を通り、またとハートに繋がっていくのです。
いつも、この深いピンクの愛がある訳でなく、寝る前とかに時々やってきます
まるで天国の中に入ったかのように、人を愛してしまい、どんな姿の男性も女性も無条件に愛してしまい、
至福そのものの中で一夜過ごしたりしていました。
この深い愛がきた時、
私は、全てが自由なのです。
全て、受け取っていいのです。最高の満足感。
全て、食べて良いし、欲しいもの全て手にして良い。今、一番の喜びを経験して良い。
この感覚がいつもあって、時折、思い出したりしていました。
誰かを「深く愛していた様な・・・」と言うのは、
今もずっと覚えている感覚です。
幼い子供の私は、これが初恋の様なものでした。
しかし・・・
あまりにも幸せな振動数なのですが、
現実の学校生活や世間の厳しいルールから、次第に、私の振動数は下がり、
信じているのは「将来の恐れ」ばかりになってしまいました。
現実はもっと厳しいという、極端な自分を制限する思考パターンを持ち始めた大人と過ごしてから
「未来の恐れ」ばかり身につき始めてしまいます。
現実を生き抜くためには、もっと自分を厳しくする思考が必要となってしまう環境でした。
この自分を厳しく制限する思考で、
私を、世間知らずではない、常識のある人にしてくれたのだと思います。
でも、夢もロマンスも消えて行きました。
完全に創造主の深いの愛を忘れた時、人生は過酷でした。
私はネガティブな自分を採用してしまったので現実が不幸になりました。
母はずっと乳がんで闘病中でしたし、父はアルコール中毒になってしまいました
不幸は終わらず、貧乏な生活を強いられていました。
私の心の中は、深い愛よりネガティブが勝ってしまいました。 辛い環境でした。
創造主と分離してしまうとダメなことばかり現実になり、本当に辛いです。
私たちは「育った環境」により 自分にいらないネガティブな思考をもらい続け
耐えるのみの自分を生きていると知りました。
シータヒーリングを初めて、また思い出しました
自分を愛する「創造主の愛」を・・・
シータヒーリングはまた創造主の繋がりを戻してくれるものです。
望みを最高の形で実現する創造主のエネルギーをもう一度思い出し
次にしたことは
新しいわたしで生きていくためには 不要な思考を剥がれ落とし
純粋なわたしで 目的地にたどり着くレッスンでした。
これによりネガティブな経験なしに成長できるようになりました。
素晴らしいことに、自分が創造主との繋がりを初めから持ったことがないと思う生徒さんも
みな創造主に繋がれることができるようになります。これを一緒にみて生きれるのが最高に幸せです
今も生徒さんと創造主との繋がりからくる、思いもよらない経験を幸せにおもい
人生は、決まりきったものではなくあらゆる形で実現可能である
わたしに経験できる最高の形で、
全ての幸せを体験する存在として実践し生きていくことになりました
楽しい人生になりました。
全ての方がネガティブを剥がして また創造主に目覚めて欲しいと思っています

人生に迷いがある方へアドバイス
自分に心を開いて、自分だけは自分を否定しない、どんなことがあっても胸を張って生きる
そう、思って人生の展開される道を信じて欲しいと思います
わたしが、辛った時に「こんなに苦しいのは今だけだから」と自分を励まして生きていました。
何年後には、必ず望み通りの幸せを生きているって信じて欲しいです
人気ブログ!0円から始めたシータヒーリング。
りりこがシータヒーリング®️に出会ってから
どのように変化していったのか
赤裸々に描かれたブログ
第3話 無条件の愛・編

17年間に及ぶ、乳がんの母の闘病生活
17年間に及ぶ母の闘病生活母の乳がんとわたしの使命
高校2年生の時に、我が家に転機がおきました。
母が乳がんになったのです。
当初は小さい乳がんであり、転移の心配はないとされていましたが
それは、17年かけてゆっくりと骨や他の臓器に転移していきまし
わたしの使命はこのときから始まったのです。
母には大事にしている宗教があり、
そのボランティア活動として同じ病気で苦しむ人に
愛を与えながら励ますという活動をしていました。
人に親切にしている方が元気でいられる、と言っていたのを覚えて
それでいて、いつも笑っている人でしたから
母は神を信じて行動していましたが
どんなに、いい行動をして自分をごまかしても、癌は進行していき
体はガリガリで体重は30キロぐらいしかありませんでした。
抗がん剤の影響で髪の毛もなくなり、女性の美しさは捨てたような
5度の手術で両方の胸は摘出していました。
「そんな母を救えるのは、私だけだ」
という気持ちが強くなり、わたしも人生を捨てた気持ちで17年間
ネガティブな思考に振り回され…
私に、青春時代なんてありませんでした。
母を支えている私もぼろぼろになっていき、
大好きな母が希望を失くしていくのを見ていられませんでした。
17年のあいだ、保険適応の抗がん剤や
放射線の治療はすべてやり尽くし、しかしどれも効果はなく、
大好きな母が日に日に悲しみに暮れ弱っていくのは、本当に辛い日
医者は口を揃えてもう無理だと言い、私たちは深く傷つけられまし
だけど医者の言葉を信じる訳にはいきませんでした。
信じてしまったら母が死んでしまうからです。
最後の5年間は本当に過酷なものでした。
海外から無認可の抗がん剤を取り寄せ、
一回に60万円かかる注射を週に2回行ったり
手の波動によりエネルギーを出して癌を攻撃する仙人による治療、
それも一回5万円を計30回、
サプリメントを大量に飲む高額な治療、ひと月10万円など
私たち家族は悲しみのあまり、正しい判断など出来ずに
出来る治療はすべて行い、その治療費は数千万円を超えていました
今思えばあの時、「純粋な愛につながる」という意識が
私にあったら、母は助かったかもしれせん。
でもあの時はシータヒーリングに出会ってなく、
ネガティブな思考に振り回された行動をしてしまいました。
恐れからくる行動は、奇跡を起こすのを遠ざけてしまいました。
長い闘病生活のさいごに
母の癌は、骨、肺、そして皮膚に転移していました。
皮膚を見て毎日、癌の大きさが把握できるので、それはもっと母を
皮膚に癌が広がると体が硬直して、
痛くて眠れない日々です。それに病臭もきつくなり。
毎日、痛いよって携帯で呼び出されたのを覚えています。
そんな状態の母に私は何も出来なくて、
「大丈夫、大丈夫」って声をかけるだけでしたが
この段階でも、まだ神が助けてくれる、奇跡が起きるって信じてい
癌は脳には転移しなかったので、
私の事を覚えてくれていたのは本当に嬉しかったです。
このような辛い闘病生活は、本当に過酷で
耐えられるような悲しみではありません。
できれば、目をそらして生きることも選択できましたが
母を見捨てるなんて出来ませんでした。
私も、癌になったような気持ちで一緒に過ごしていました。
私だって誰かに助けてもらいたい…本当はそう思っていました。
私は神に祈る時間が長くなりました。奇跡よ…奇跡よ…
誰かに相談するのは、嫌いでした。
なぜなら誰もこの気持ちは分かってくれないって思っていたのです
私は、たくさんの限界に立ち向かう思考を持っていました。
それは、現実化してしまいました。
本当は「癌が消える、奇跡が起きる」なんて思考は持っていなかっ
思い込みのとおり、癌は癒えませんでした。
母は、肺に水がたまってしまうので、毎日溺れる恐怖と戦っていま
最後に母は、水に溺れる苦しみを耐えられずに、
私に「モルフィネで死なせてくれないか?」って聞かれました。
そんな事を母に言われて、私は悲しくて悲しくて、
最後のわがままを言っていいなら
「植物人間でもいいから生きてほしい」って
言いたかったけど、それは言えませんでした。
母の苦しみは痛いほど分かるし、見ているのも限界でした。
モルフィネを肌に貼ると、
「もう意識がもうろうとして記憶がなくなるかも」と医者に言われ
もう私の事は分からなくなっちゃうかなって思い、
怖かったけど覚悟して、私がモルフィネを貼りました。
愛している人にモルフィネを貼るのは悲しすぎました。
それから母は、1日で話が出来なくなりました。うつらうつら…
今思えば、魂がさまよっていたのでしょう。
2日目にまたモルフィネを貼るときは、
これを貼れば死んでしまうっていうのは分かっていたので、手が震
もうお母さんの声が聞けなくなる…。
やっぱり、お母さん…って声をかけても返事がなくて。
その晩も、意識がないけどかすかに息をしている母の隣で一緒に寝
最後の時間は、なぜか不安が消えて、愛に包まれている気持ち。
最後に母とわたしの魂は抱き合っていたのだと思います
母から子へ、最後の子育て
母の顔を覗き込んだ 2秒…
私は、スーーーっと、最後のひと息をしなくなる瞬間を見ました。
お母さん…「もういいよ」
心臓が止まり、腕の脈が止まり、血の気が引いていき、
なぜか口角が上がり、笑ったような顔で死んでいきました。
お母さんの、亡くなる、愛になる瞬間に出会えました。
私が顔を覗き込んで、安心して次の旅に出たようです。
私は、スピリチュアルな方ではありませんでしたが
母の声で「バンザーイ、バンザーイ、やりきったぞぉ~」って聞こ
本当に病気は戦いでした。
私たちは、抵抗して頑張り過ぎてしまった。
本当は、病気を愛すればよかったんです。
でも、そう思えなかったのが
人間の思考であり、ガチガチの脳なんです。
お母さんは、わたしがヒーラーとして成長するために、
本当にいい経験をさせてくれた。
この経験は、母から子へ、最後の子育てだったのだと思います。
わたしは、この経験で、人一倍、思いやりを持ちましたが
残っている仕事は、潜在意識の思い込みを片付けることです。
ネガティブな思い込みがたくさんあったので、
私はこのように面白いドラマを創ってしまいました。
経験して終わりではありません。
潜在意識は放っておけば、また違うかたちで芽を出してしまうので
だって自分が信じていることだから。
神は外にはいませんでした。神は私の中に存在するのものです。
シータヒーリングに出会ったあとは、自分を許してあげることを実
決してがんばりすぎることなく。
母が言っていた
「しっかりした人になりなさい…」
生まれ変わった私は、しっかりと土台のある人になりました。
今の姿をきっと母は褒めてくれるんじゃないかなと思っています。
シータヒーリングと出会って
シータヒーリングを始めて思い出せた「深い慈愛」
わたしの人生は8年ほど前まで本当に辛いものでした。
母はずっと乳がんで闘病していましたし、
父はアルコール中毒になってしまい、貧乏な生活を強いられていま
そんな時に藁にもすがる思いでシータヒーリングを始めました。
自分でも気づかないうちに身についてしまっていたネガティブな考
つらい現実を引き起こしてしまっていたと知ったのです。
シータヒーリングを学ぶことで、
ネガティブな思考をポジティブな思考へと変えられるようになって
”自分がする経験は、自分が決める。”
そう実現できるやり方を思い出して、目が覚めました。
幼い頃に、時々来てくれた深い慈愛は
シータヒーリングを始めて、自分を制限する思考パターンから解放
あの「深い慈愛」と、副作用なく一緒に生きれられるようになりま
この高い振動数は、私をいつも創造主とつなげてくれます。
私が知った”唯一の自分にすべき事”は
「自分を知って、あらゆる側面の幸せを経験すること」です。
自分が誰なのかを知ったら、
幸せをちゃんと責任持って経験しよう!と思えるようになりました
今では、受け身ではなく私から人生を生きています。
本当の私はユーモアがありますし、意外と女の子です。
強い面もありますがそこも私のお気に入りなんです。
永遠の幸せとは
自分を知って、全ての側面の私を愛する事だと思っています。
サロンに来る受講生さんやまわりの人を愛するという気持ちを
私がずっと持っていられるのは、もともと持っていたものを思い出
なので、また創造主とどの様につながるのか、そのやり方を思い出
人生の変え方は、ヒーラーに教えてもらうのが一番早いと思ってい
人生に迷いがある方へアドバイス。
私が不幸な人生を送っていた原因は、
自分の心にある愛を忘れてしまったためです。
過去の様々な苦しみや、耐えきれない程の深い悲しみ、
自己否定してしまう暗闇の被害者意識、
またそれが起きてしまうのではないかという恐れからでした。
あなたがあなたを分かってあげましょう。
そして前に進めるようにしてあげましょう。

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