強制的なことは必要なの? ルールは必要?
私の疑問を解いてくれている学校を見るけることができました。
この記事が、同じ悩みを持っている方に届いたら嬉しいです。
私の小さい頃からの疑問・・・。
なんで、大人は何かをやっていないと怖がるのだろう・・・。
人と違う恐れ、置いていかれる恐れ、何者かにならないといけない恐れ・・・。
いつも幸せを追いかけているけど たどり着いた人はいるのかな。
大人は、毎日、生きているのが怖いのか、ゆっくりしている時間がないようにみえる。
それに、子供に自分の恐れを押し付ける。
はっきり言って、自分の幸せは、自分で解決して欲しかった。
大人って怖がりだね・・・そのように、小さい頃に思いながら生きていました。
私も、小学校の義務教育に入ったあたりから、大人と同じ生活が自分の身についてしまい
気がついたら、いつも何かを頑張っていなければならないといつも頑張り、人一倍、優秀でないと将来は大変なことがあると恐れを持つようになりました。
「何かをしていなければ、いけない・・・」
この気持ちは、私を常に忙しくさせ、問題を大きくし、愛する時間も楽しむ時間もゆっくりする時間もなくなっていきました。
これは、いつも親が、「早くしろ〜!!」「やったのか!!」と 私に焦らせ、縛りを生み出したからでしょう。
その結果、私は、いつも何かに追われていて、解決しなくてはいけない問題が山ずみで、
成功への前進と言うよりは
少しずつ現状は悪くなりました。
大人が、子供をこんなに怖がらせなければ、最も早く自分にとってぴったりな道を開き、いつも私らしくあり、笑顔の多い子でいれたのに。
特に義務教育は 私をとって、とっても傷つける場所になりました。
ずっと競争と強制で行動させられていたから。
日本には義務教育というものがあります。そこへ通うというルールは破れないよね〜と思っていたら
義務教育を早々卒業させて、子供を信頼して自由の素晴らしさを教えている学校がありました〜
自分を信頼するがままに、本来の自分を思い出すことが学べる学校が・・・。
それは、東京サドベリースクールです。
ご縁あって、このサドベリースクールに見学に行く機会がありましたので、スクールの了解を得てブログで紹介させていただきます。
その前に私が経験した状況を元に、
子供を強制すると未来が複雑化して、面倒なことがいっぱい起きる人生のお話をします。
私は、小学校〜高校時代、いわば義務教育中に苦しい思い出があります。
小学校2年の時、お勉強が全くできなかった私は、担任に障害者と同じだから特別な学校に行くように呼び出され、その度に母は自分の子供は障害者ではないと・・断り続けていました。
私は、頭が悪いのではなく、学校の勉強が将来に役立つとは思えなくて、興味がなかっただけなのです。
興味がないだろうと、何であろうと、学校の授業というのは決められていて進んでいきます。
先生も、決められている時間割の中で義務を果たそうとするので、興味のないこ子供であろうと強制的にやらせようとしました。
私は、この強制的にやらされている時、常に自分の周りは敵だらけであり、ここから逃げることばかり考えていました。
私はいつも誰かに「強いられる」ような現実を未来にも創ることになったのです。
この「強いられる」現実は、大人になったら、さらにパワーを増し、いつも自分の周りは反対者だらけなので、自分を守るために性格が悪くなります。
さらに、学校時代では、興味のないことで、点数をつけられ、これは自分の欠点だと間違った形で捉えてしまい何をやってもダメになりました。何をしても中途半端。自信を無くしました。
自分自身を根底から否定するような経験を繰り返してしまいます。
子供の時に、「やりたい!」って思う自由さを優先させてくれていたら・・・
「やりたい!」というまで、安心して信頼してくれていたら・・・
こんなに辛いレールの上を生きずに済んだのに・・・。
東京サドベリースクールは
朝登校した時から、自由で、その日に何をするかを自分で決めます。
上下での差別はなく、どの学年も分け隔てることなく自由に過ごします。
じっくり自分が何かをしたくなるまで、愛情を込めて待っててくれます。
自分を発見するもしないも、そのどちらも素晴らしいと考えているので
子供達は自分を発見した時が、一番良いタイミングであることを知ることができます。
これにより いつも 無意味に忙しくしている人生でなく 休暇も取れる人生になります。
何も強制されない空間の中で
自分が何を幸せに感じて生きていくのか
どんな可能性もある中で自分は何を選択するのか
それを、自分でわかるためにまず、自分についた制限や強制的なことが、鱗が剥がれるようにポロポロ落ちていきます。
義務や強制のない空間は 自らのことがわかりだします
自分に自由な時間を与え済みの子供は、自分のぴったりなタイミングがわかり、他の子供と比べないでも自分を積極的にできるので、行くべきとと休む時が上手になります。
他の子供と比べないとき、自分に必要なことに気がつき、静かに戦いのエネルギーがさざ波のように穏やかになります。
自分にとってぴったりな職業や、今やりたい!と言う勉強に意欲的になり、
一生、自分自身を探す旅をしなくて済むのです。
ずっと 自分らしく・・・ は結果、羨ましいほど幸せで穏やかな人生になります。
大人でも、自分を自由にする時間を与えた方はそう多くないから、ずっと自分探しをしています。
それを思うと 子供の時に たっぷりと自由な時間を思う存分与えられるのは とても素晴らしいことではないでしょうか。
怒る、心配する、制限する。子供に言うほど 大人は出来ていない。
実は、子供に厳しく言う大人は、自分の未来を信頼していなく、
自分を制限だらけの中に身を置き、自ら厳しい状態を引き起こして生きているのだと思います。
ブロックの中で生きることを「頑張る」と呼んでいるようです。
大人だって、自分の幸せがわからない・・・
きっと・・・このように、自分を信頼して自由にし「無限の可能性」とつながる機会を自分に与えられていたら・・・
本当は、ちっぽけな自分の制限なんて手放して、
完全に自由にしたら抵抗なく幸せな道のりが現れていたのに。
子供は、誰でも最高の能力の持ち主です。
親の制限や恐怖を与えなければ。
「何に能力を出して輝こうか」は、本当は生まれる前に決めています。
それにスムーズに行くか、行かないかは、親自身が解決できなかった恐れを子供に与えるか、与えないかにもよってきます。
「自由」というのは決して「放棄していること」ではなくて、あなたのことを完全に愛して「信頼」していると言うことでした。
自由であるとき、観えない力「宇宙」では、素晴らしい力が生まれれているのに気がついてますか。
よく人生に「奇跡」が起きる人は、自分に制限のない人です。自由にした人と言うことです。
自分らしくいるだけで、思うように人生が運ばれて、これまでの事はとても楽しかったという具合に達成していきます。
ルールばかり気にしていると ポジティブな心は閉じていく。
強制的でない時、私たちは、思いやりや優しさといったポジティブな良心が育ちます。
このポジティブな心を 持てば持つほど自分を愛することができます。
あまりルールにばかり縛られていると、人の良いところを見ることができず、育むべきポジティブな思考は消えていき、自分を嫌いになります。
本当は、このルールを超えた所に愛があります。
愛がある子供は、ルールに縛られていません。
ルールは子供達を「守るため」にあって、「縛るため」にあるわけではないのです
ルールは 愛を使って決定し、子供を縛るためではないと教えるべきです。
東京サドベリースクールは 不登校になった訳でなく、
まず自由について許し、その方が良いと心から賛成し、勇気を持ってそれぞれの今をいっぽ先へ進んだ方で創られた学校です
そのためか雰囲気もよく、保護者も積極的に遊び、自由を愛し、保護者も子供と一緒になって自由を愛している方がぞくぞくと集まる学校でした
サドベリースクールは「スタッフの見守る愛」がとても素晴らしく、
心を学ぶ子供たちと、100%子供を信頼している親御さんの愛で出来ています。
自分らしくあるために。
私は、このサドベリーを初めて訪れた時に、子供達を見て、
創造主の純粋なエネルギーである「虹の子供」のように見えました。
私達、大人がなぜシータヒーリングをするのか?この「虹の子供」の純粋さに戻ろうとしていますよね。
大人は、今でも不要なブロックと戦っています。
でも、それを解放する手段が見つかっているなら、今からだって幸せに生きれる。
サドベリースクールも
シータヒーリングも どうぞ よろしくお願いします。
最後までありがとうございました。
りりこ

東京サトベリースクールは、不登校の子どものために作られた学校ではなく
自由をとても愛し、100%信頼しているという愛。そこに「価値」を持ったみんなの集まる
「学校」です。
東京サドベリースクール