わたしは シータヒーリングを始める前まで 子供をそのまま愛せるかという不安を持っていました。

それは、自分のことで精いっぱいで 誰かを愛する余裕がなかったのです。

これは遺伝から来ている思考であり 母も持っていたと思います。

もちろん、子供のことを愛していない母などいません。きっとわたしの母もわたしを愛してくれたと思いますが

家庭は貧乏でしたので、毎日仕事に向かう母は、心に余裕がなかったように思えます。

 

子供に、キスをして可愛がる余裕。

子供がしたいと思っていることに一緒になって興味を持つ余裕。

心を抱きしめて安心させてあげる余裕。

楽しいことに積極的に笑いあう余裕。

大切に大切に育てる余裕。

 

母に愛されていたとはいえ それを経験していない私は、とても臆病者になっていました。臆病者だからすごく強がりなのです。

でも母も大事にされて生きるなんてことは 経験していないのだと思います。

 

どちらかという 放任主義という名の 放ったらかし。

 

そうすると小さいころから創造主との分離が起きます。孤独の恐怖、見捨てられる恐怖、欠けている恐怖。自立したい恐怖。自立できない恐怖。

私も同じ恐怖を持っていました。

 

シータヒーリングをしてそれらを、解放する事をして3年。

 

 

自分の子供を、毎日抱きしめられる幸せを感じます。

自分の人生を信じているように子供の人生も信じています。

反抗期があったとしても魂の絆よりも強いものはありません。

ママを気づつけない子供であることを信じています。

子供を条件付ける訳ではなく そのまま可愛がっていられる 心は美しい。

 

わたしはこの心が欲しかったのです。

 

地位や名誉ではなく 心が欲しかった。

この心は、わが子を可愛いと思う心を超えて、子供のお友達にまで拡張します。

 

わたしの家には朝からたくさんのお友達がきます。

全員可愛くって。可愛くって。大事な大事な 存在なのです。

 

ひとは誰もが このように 大事にされるべきだと思っています。

そして 適切なことを教えてもらって そこに愛を感じて 応援されて 養われて、育まれて。

 

 

わたしの母は、もう死んでしまいましたが

母がしたくても出来なかったことは、

子供をもっと もっと もっと 愛したかった。

子供をもっと もっと もっと 見つめ合いたかった。

子供ともっともっと 笑い合いたかった。

 

今は そんな母の思いを、はたして生きています。

まず自分を満たす そこから始まりました。

 

 

子供を愛するために沢山の契約と制限を体に巻き付けていました

それらは、結婚してはいけないという形で表れていました

 

今やっとそれに気が付き外した ところです

 

その誓約や制限のことについては、また今度お話しますね

 

 

ではでは

最後までありがとうございました

 

今日もよい一日を・・・

りりこ

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